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「ジョーカー」はホラー映画ではない

はいどうも。

ジョーカー見てきました感想&考察です。

いつも通り私のレビューはネタバレ全開フルスロットルですので自己防衛お願いします。

 

 

 

もういいでしょうかね?

とりあえず、面白いかつまらないかで言うとつまらなかったです。

子供に見せてはいけないなどと話題沸騰の今作なので期待して見に行ったのですが、正直期待はずれではありました。

ただ、この作品はホラー映画ではないのです。

ホラーだと思わないで見てください。

ホラーとして見ると私のように失敗します。

 

それは何故なのか、それは今作が「英雄になれなかった男」を描いているからです。

皆様も聞いたことがあると思いますが、「殺人狂時代」という映画の中で『1 人殺せば殺人犯だが、100 万人殺せば英雄だ』という台詞が出てきます。

(喜劇悲劇のあたりからもチャップリンへの意識が伺えます)

ジョーカーが殺した人数は劇中では5人(確か)。

貧困層の人々の間ではヒーローと持て囃され、暴動の切っ掛けにさせられ踊らされた道化にしか過ぎないのです。

殺害動機や方法、人数等ホラーとして見るにはあまりにも弱い。

ではこの作品の正しい見方とは。

それを説明するためにはストーリーを振り返る必要があります。

 

アーサーはコメディアンを夢見ていました。

ウケたい、コメディアンとして成功したい。

別にピエロで必ずしもある必要性はないのです。

実際にピエロではなく純粋なトークを勉強する様子や、妄想の中でコメディアンとして笑顔にしたいと言っている描写があります。

しかしながら、コメディアンとして認められるどころかピエロを首になり恋人は妄想。

誰からも相手にされなかったアーサーはいつしか承認欲求の塊となっていきます。

そんなアーサーは衝動殺人によって、初めて人々に認識されたのです。

コメディアンではなく、殺人ピエロとして。

そしてラスト5分、暴徒と化した人々の中心でアーサーは踊ります。

ここで先程の一文を思い出してください。

貧困層の人々の間ではヒーローと持て囃され、暴動の切っ掛けにさせられ踊らされた道化にしか過ぎないのです。

そう、道化なのです。

アーサーはコメディアンにも英雄にもなれなかった。アーサーはピエロになったのです。

 

この作品は、ホラーでも無ければコメディでもない。

アーサーという1人の大きな子供が、夢を追い、歪み、敷かれたレールを辿る様子を見せてくれる映画なのです。

子供に見せないでください?バカを言え。

多感なお年頃の中高生にこそ、特に意志薄弱な子供にこそ見せるべき映画なのだ。